修了式&懇親会
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パヤタスのゴミ山の北側、ゴミのトラックやジープニーの通る道に沿って、長い壁が続いている。その壁の向こうは何だろうと気になった。1994年、パヤタスをはじめて訪れた頃だ。あるとき、壁に穴が開いているのに気づいた。それで、ジープニーを途中で降りて、壁の穴からもぐってみた。
壁の向こうに出て驚いた、すごく広く美しい湖。今まで見ていたゴミ山のスラムの光景とは、まるで別世界。それが壁ひとつへだてて存在していることに、目まいがしそうだったが、よく見ると、ゴミ山の方角の空に黒い煙があがっているのが、見えた。
壁の向こうはダム湖で立ち入り禁止だと、後で知らされた。その後も一度、警備員が利用する門がたまたま開いているところに行きあわせ(ジープニーがつかまらなくて、歩いていたときだ)夕涼みしていた警備員一家と、しばらく夕陽に染まる湖を眺めて過ごしたことがあったが、それは本当に美しい湖なのだ。
その湖のほとりに、自然公園ができていることは、はじめて知った。
2005年12月17日、パアララン・パンタオ(パヤタス校&エラプ校)の生徒たちは、遠足をかねて、ダム湖のほとりの自然公園(La Mesa Eco Park)までバスで行き、そこでクリスマス・パーティを開いた。
先生たち親たち、NGOやボランティアの友人たちも参加して、ゲームやダンス、劇の披露などもして、楽しく過ごした。もちろん、
お昼ごはんとプレゼントも。
(壁の穴と湖の写真は1994年12月撮影)
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2005年、4月から、毎週土曜日に、国内の教育NGOチルドレンズ・ラブ(Childrens Laboratory for Drama in Education Foundation)が、演劇のワークショップをもってくれた。午前中はエラプ校、午後はパヤタス校。指導はジン先生。20名ほどの生徒が参加した。クラブ活動、のようなものだろうか。
ワークショップは、様々な(しばしばとても困難な)背景をもつ子どもたちが、演劇を通して、お互いの体験を共有することが目的。表現を通して自分を解放すること。チルドレンズ・ラブは、教育に、とりわけストリートチルドレンや、貧しい地域の子どもたちの教育に、演劇の手法が効果的であることを、信じている。
パアララン・パンタオも開校以来、何度かそのような試みを、チルドレンズ・ラブの協力で行なってきている。「スカベンジャー(ゴミ拾い)の子どもたちが、チルドレンズ・ラブの指導で、立派な俳優みたいになるんだよ」とずっと以前、レティ先生が楽しそうに言っていたことを思い出す。
97年頃、一度、チルドレンズ・ラブのオフィスに行ったことがある。高校を卒業してデイケアのクラスで教えていたジェーンが、教師のトレーニングを受けるために、オフィスに行くときに一緒に連れて行ってもらった。
あいにく私は英語ができないので、いろいろ説明してくれたスタッフの人は、私のものわかりの悪さに、あきれたに違いない。パアララン・パンタオで話を聞くときは、レティ先生が、簡単な英語にして、ゆっくりと発音してくれるので、すこしは聞き取れる気がしていたのだが、ひとりでは困難きわまった。ようやく理解したのは、彼らの活動のひとつに、ストリートチルドレンたちへの声かけがあり、困ったとき、また自分が望んだときには、すぐに連絡がとれるように、彼らのオフィスの電話番号を書いた紙を渡していること、また、あちこちの学校で、演劇を通した教育の、指導などもしているらしかった。
レティ先生が言うには、彼らはプロの集団だから、普通に教師のトレーニングなど頼めば、とてもお金がかかる。でもうちにはお金がないから、無料。私は、食事を出すだけ、と笑っていた。
(この年、パアラランの先生もしてくれているジンの給料は、パアラランとチルドレンズ・ラブが半分ずつ出していた)
そして10月23日、チルドレンズ・ラブが主催して、ケソン市で行われた、子どものダンスと演劇の発表会に、パアララン・パンタオの生徒たちも出演した。(そのときの写真)
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1988年10月5日の朝。ゴミの山で、捨てられた赤ちゃんを見つけたスカベンジャーが、レティ先生のところに連れてきた。レティ先生は赤ちゃんの汚れた体を洗った。近所の人たちがミルクやおしめをもってきてくれた。赤ちゃんの具合が悪そうなので、レティ先生はゴミのトラックの運転手を説得し、大雨のなか、ゴミのトラックで赤ちゃんを病院に運んだ。そうして一命をとりとめた女の赤ちゃんを、レティ先生は、マリーグレースという名前をつけて、養女にした。
グレースが、2歳のとき、心臓に小さな穴があいていることがわかった。手術が必要だが、お金がない、という状況がずっと続いた。レティ先生は市長にも、手術が受けられるようにお願いの手紙を書いたりしていたが、がんばってください、と言われただけだった。2か月に1回、病院に検査に行く。それはもう1日がかり。5分の診察のために、半日並んで待つといった感じ。レティ先生は学校があるので、なかなか連れていけない。そういうとき、かわりに連れていってくれるのが、近所のテリーさんだった。
小学校に通わせるのも不安なので、ずっとパアララン・パンタオで勉強していた。夜は、デイケアの子どもたちが使う低い大きな机をふたつ並べたのが、グレースのベッドになった。その硬い木のベッドで、まだ小さいグレースと(でも足のサイズは私より大きかった。たぶん、ふだんゴム草履で、靴をはかないから、のびのび成長するのだろう)一緒に寝たとき、夜中に2度も顔を蹴飛ばされた。その話を、何年も何年も繰り返して、私たちは笑ったのだが。(その机は、いまエラプ校で使われている)
グレースが11歳のとき、心臓の穴がすこし大きくなっているのがわかった。もう手術をしたほうがよかった。ゴミの山で赤ちゃんが見つかることは、何度かあったらしい。たいてい死んでいるが、まれに生きていることもあり、でも、そのまま放置されて死んでしまったりした。学校の横の椰子の木の下には、死んだ赤ちゃんが埋められている、という話だった。そんななかで、奇跡的に生きのびたグレースを、もっと生かしたい。学校の資金とは別に、日本で寄付を募ることにした。数ヶ月後、グレースの手術の日程が決まり、そのころ、必要な金額だけは、なんとか寄付も集まっていた。
2000年3月、ゴミの山の自然発火の炎が広がり、山が大火事になった日に、グレースは病院に入院し、2度の手術を受けた。入院中、つきそいのベッドなどはないから、レティ先生とテリーさんは、交代で、自分の靴を枕に廊下で寝ながら、つきそいしたらしい。手術は成功し、(助けてくださったみなさま、ありがとうございます。)術後も良好で、2003年には、公立の小学校に通いはじめた。
一度学校で倒れたことがあり、体力が続かないので、通うことをあきらめ、パアララン・パンタオでの学習に戻ったが、それから体調も安定し、小学校卒業認定の試験に合格し、05年、16歳のグレースは高校生になった。レティ先生一家のサポートで、スクールバスで通える私立の高校に通っている。でも無理して勉強したりしないように、学校の先生にも、グレースにも言っているんだと、レティ先生は言っている。
2008年現在、グレースは高校4年生。(フィリピンは、中学校がなく、小学校6年のあと、高校4年)、大学受験の真っ最中。
(写真は1996年7歳のグレース。と、彼女の落書き)
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奨学生が増えた。まず大学生たち。ユージンとマリージョイのロトル兄妹は、それぞれ進級し、ジョイとマリベルも進級した。そのほかに、新しく4人の女の子たちが大学に進学した。マリッサ、エルビー、チェリー、リオの4人。夏休みにパアララン・パンタオを訪問していたチエちゃんが、みんなの写真とプロフィールを送ってくれる。
「23歳のリオは、やっと大学1年生になることができた。高校卒業後の経済苦により、6年間ほど働いたり、家族を手伝ったりしてきた。スカベンジャー(ごみ拾い)をしていた時期もある。2000年のゴミ山崩落事故のとき、友人を亡くし、かなりのショックを受けた。父は以前はアル中だった。兄2人と姉がいるが、そんな父を嫌がって、みな早々に結婚して家を出て行ってしまった。現在、父はアル中ではないが胃が悪く、思うように働くことができない。仕事はスカベンジングだ。稼いでも、1日に100ペソくらい。母親も足を怪我したため、あまり働いていない。リオは「きょうだいは皆家を出ていってしまったけれど、私は両親を手伝いたい。とにかく大学を出て、一人前の大人として家にいる権利を持ちたい」と言っていた。「卒業したらまず会社に入って、将来は自分でビジネスをしたい」頬を紅潮させながら、嬉しそうに語ってくれた。」(大野千英)
そのほかには、クリスティーナ先生の娘のウィルマリーが、ハイスクール4年に進級した。ジョシエル、リンリン、ロレイン、アーシェル、ジュリーアンの小学生たち5人もそれぞれ進級した。
個人のスポンサー(2人)、スイスのグループの支援(2人)、ほかが、私たちの支援。この年、年間の奨学金(学費+交通費)は、大学生がひとりあたり7万円~14万円。高校生は3万円、小学生は1万円ほど。
(写真はパアララン・パンタオ、パヤタス校)photos by Chie O.
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2005年の新学期がはじまった。
パヤタス校は、92名の生徒が登録。午前中は4、5歳児のクラス(28名)と、6、7歳児のクラス(29名)。午後は、8歳~10歳児のクラス(18名)、11歳以上のクラス(17名)。
ジェーン先生、レイナルド先生、ヨリー先生、ジュリアンが 担当している。レイナルドとジュリアンのふたりは、パアララン・パンタオの最初の奨学生として、大学へ進学・卒業した。ふたりとも優秀な成績で卒業したが(レイナルドは最優秀の金メダルをもらった)、就職口が見つかっていなかった。
レイナルドのガールフレンドに赤ちゃんが生まれた、という話を聞いた。お父さんになったのか。仕事が見つからなくて、レティ先生に相談しにきて、教師をすることにしたのだろう。彼もジュリアンも、本当は船乗りになりたくて、専門の大学に進んだのだが。コネがないと仕事を見つけるのは難しいらしい。ゴミ山の子どもにとっては至難だ。
(卒業して間もないころ、お金があれば、口をきいてくれるところがある、という手紙をレイナルドからもらったが、就職のコネのために、送金できるゆとりはないし、彼だけを特別扱いするわけにもいかない。断った。いくらだったろう。かなりの金額だった)
増築工事で、教室が広くなったエラブ校では、210名もの生徒が登録した。増築工事で、1階部分が広くなり、2階もほぼ完成した。その後、資金不足で中断しているが、最終的には3階建てになる予定。(でもいつ完成するのか、見当もつかなかった。もともとの土地と建物のローンの支払いも大変だった。)
エラブ校では、午前中は4歳児(64名)と5歳児のクラス(73名)、午後は6歳児(48名)と7歳以上(25名)のクラス。ジン先生、クリスティーナ先生、テス先生、エルサ先 生、テリーさんが担当している。
(ジン先生は、パアララン・パンタオの設立当初から、教師のトレーニングなどの支援をつづけてくれているチルドレンズ・ラブというNGOから派遣されてきている。カリキュラムの作成や、土曜日のアートクラスを担当している。)
94年からずっと、学校の先生を続けていたベイビー(レティ校長の長女)が今年はいない。給料が安いので、ついに嫌気がさして、ほかの仕事をはじめたのらしい。スカベンジャーたちに食事を提供する仕事、と聞いた。
シンガポールのグループの支援で、給食は続いている。パヤタ ス校はジュリアンが、エラブ校はテリーさんと生徒の親が、調理を担当している。
photos by Chie O.
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